教育・育成

2014年11月 7日 (金)

神田憲行『「謎」の進学校 麻布の教え』 (集英社新書)

麻布の入試問題は、素晴らしい。特に、国語。チビの中学入試の時、一緒に大いに考えた。その出題意図と採点過程を本書で教員が語っているが、この良問を、こんなに吟味して採点したら、それはいい子が採れるだろうと思う。

中学受験を控える小学生をお持ちのみなさんなら、本書をぜひ一読してみたらどうか。「自由」を志向する私学のひとつの極がここにある。ただ、どんな子にも合うとも思えない。だから「自分の子がどんな学校に合うのか」を考えるのに、麻布はひとつの明確な基準となるのではないか。

ここからイノベーティブな卒業生が巣立つのは間違いないが、きっとそれは、ここを自ら選んで受験し、楽々と突破する子供たちなのだろう。


2014年11月 4日 (火)

鴻上尚史『コミュニケイションのレッスン』(大和書房)

これはツボにはまった一冊。

「聞く」「話す」「交渉する」というコミュニケイションの「技術」について書かれた本だが、筆者はまず日本における「世間」と「社会」の二重構造を指摘する。
自分と利害・人間関係がすでに(または将来)ある「世間」と、そうでない「社会」。その場が、「世間」なのか「社会」なのかを正しく認識し、意識して行動することがコミュニケイションの技術向上の出発点と説く。

伝統的日本企業で受け継がれてきた「世間」的人間関係。筆者はそれが近年“中途半端に壊れて”きており、さらにメールやSNSの浸透がコミュニケイションの形態を変質させつつあると分析する。

私のように極めて「世間」的、内向きな「場」でコミュニケイションすることの多い人間には、改めて考えるヒントに満ちている。

それにとどまらず、演出家鴻上尚史氏ならではの、会話するときの身体、声の使い方などのレッスンもさすが。ビジネスだけでなく、日常のあらゆるコミュニケイションに、お役立ちの一冊

2014年10月14日 (火)

野村克也『プロ野球 最強のエースは誰か?』(彩図社)

野村が「最強のエース」を選ぶというので、それだけでワクワクする。

稲尾や金田、杉浦から江夏、堀内、江川、野茂、ダルビッシュや田中に至るまで、分析と論評が続く。金田と大谷はどちらが速いのか。誰のスライダーが一番切れるか。

各球団5人ずつ計60人。たいがいの名投手を網羅し、さながら戦後投手名鑑であるが、近くで見てきた一人が一貫して論評しているところに価値があろう。野村の解説とともに想像を巡らせるだけで、ただ楽しい。

私の愛する江川の評価は…!?。

2014年8月25日 (月)

藤田正裕『99%ありがとう ALSにも奪えないもの』(ポプラ社)

私のような者には氷水など回ってこない。しかしながら、本を読む。

ALSという難病に罹った人が、どんな思いでいるのか。“ゆっくり全身麻痺になり、死ぬ。そして治療薬はない。” 広告プランナーである著者がそう宣告されてからの苦闘の記録。“意地やプライドを少しずつ削る作業”を続けながらも、支えあいながら生きていることへの感謝を綴る。

詩的な散文から、生への執着と深い洞察が滲みでる。バケツチャレンジはALSという単語を広めるにはたいへんに貢献したが、もう少し詳しく知っていてもよいし、自分で何ができるのかも考えてみたい。ぜひ手に取ってみていただきたい一冊。

2014年8月24日 (日)

エレーヌ・フォックス『脳科学は人格を変えられるか?』(文芸春秋)

楽観主義者と悲観主義者(人生においてよい結果を生み出すのは前者だが)を分けるのは何なのか。

物事を楽観的・悲観的に捉える「認知バイアス」の働き、楽観的・悲観的にとらえる時にそれぞれ働く脳の部位、物事のとらえ方に深く関わる遺伝子~例えばセロトニン伝達遺伝子~、抑うつを遺伝子・脳の回路の働き・認知のくせなどの点から修正しうるか。

まだ謎も多く、結論はすっきりしないが、多面的な研究分野から平易に解説され、さまざまな「視点」を提供してくれる。
遺伝子(最近流行りのエピジェネティクス含め)、脳科学、うつ病治療などの分野に興味のある方なら、一読の価値ありではないでしょうか。

2014年7月27日 (日)

川上未映子『きみは赤ちゃん』(文藝春秋)

私の周囲は出産ラッシュである。チビが生まれたのはもう15年も前。出産のたいへんさ、もう忘れてしまったな、どんなだったか思い出せるかな、と手に取ったこの本。
愕然とした。たいへんさを忘れたのではなかった。全くわかっていなかったのだ。分かち合う努力すらしていなかったのだ。

著者は芥川賞作家の川上未映子氏。あべちゃんこと旦那さんも芥川賞作家の阿部和重氏。川上氏が愛称「オニ」の出産と子育てをアイフォンで綴ったという楽しいエッセイだが、出産後、修羅となった母はこう叫ぶ。

“自分の味わっている痛みやしんどさを、この世界の誰ひとり、おなじようにわかってくれる人などいないという、考えてみれば当然すぎる孤独だった。おなじ経験をしたことのある人でもわかりあえない。まして男で、妊娠と出産を経験しえない、何重にもかけ離れている男であるならさらにそうで、世界にたったひとりのオニを作った相手といえども―いまもそこで寝息をたてて眠っているあべちゃんにも、わかってもらえないのだ。わかってもらえるはずがないのだ。

 なぜなら、他人なのだから。

それはあべちゃんを責めてもしかたのないことだ。しかたないのだ。わたしだって、人にたいしてはそのように存在することしかできないのだから。”

つわり、出生前診断、無痛分娩、母乳神話、からだの変化、離乳食、初めての病気、夫の家事、「なあ、あべちゃんは、この子のために死ねる?」と問うた時の夫の一瞬のためらい。

きっと出産や育児について書かれたエッセイもブログも無数にあるのだろうが、川上氏の独特の感性は、胸の奥底に突き刺さってくる。

“出産を経験した夫婦とは、もともと他人であったふたりが、かけがえのない唯一の他者を迎え入れて、さらに完全な他人になっていく、その過程である”って、それを言っちゃあおしまいだろ、と思いつつ、でもそうだな、ともしみじみ思う。軽く読めるのだが、いろいろ考えてしまった一冊だった。


きみは赤ちゃん

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2014年7月 8日 (火)

西原理恵子『家族の悪知恵 (身もフタもないけど役に立つ49のヒント) 』(文春新書)

家族の問題は、単純でも答えがなく、悩みが深い。しかし一見深刻でも、実はそこに甘えや自分かわいさが潜んでいたりする。

サイバラ氏は、そこをばっさり切り落として、まさに「身もふたもない」結論を通告。きっと、端で聞いていたら、「ま、ま、それはその通りなんですがね…」とツッコミを入れてしまうであろう。私も自分に優しいからだ。

「あんたねえ、余計なこと考えてないで、問題と向き合いなさいよ」という叱責が聞こえてくるようだ。まるでアドラー心理学(笑)。


2014年6月28日 (土)

岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)

“承認欲求を否定せよ。他者の期待など、満たす必要はない。自由とは、他者から嫌われること。”
“叱ってはいけない、ほめてもいけない。それは、他者の評価による「操作」だから。するべきは「勇気づけ」。自分の課題に立ち向かっていけるよう、働きかけること。”
“人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。”

長くベストセラーにとどまっているアドラー心理学の本。心理学者・哲学者の岸見氏からの聞き取りを基に、ライターの古賀氏が青年と哲人との対話形式に落とし込んでいる。我々が「なぜ?」と思うことを青年が哲人に問う形になっているので、一層厳しい言葉が胸に響く。

あとがきに“シンプルかつ普遍的なアドラーの思想は、ともすれば『当たり前のこと』を語っているように映ったり、あるいは到底実現不可能な理想論を唱えているように受けとられかねないところがあります。”とある。

書かれていることに対し、「今」「自分が」どのように感じるか。記述はとても平易で読みやすいが、読み進むほどに自分自身の現在の有様が映し出され、辛くもあり、考えさせられる。一読の価値あり。


2014年6月 4日 (水)

『教えて!校長先生-「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(中公新書ラクレ)

これはなかなか興味深い一冊。
帯にあるような、秘訣やノウハウの書かれている本ではないし、逆に、灘・開成に秘訣などないですよ、と語っているかのようでもある。

この本で語られるのは、多感な13~18歳の思春期の子を育てるにあたっての、基本的な「考え方」である。

中高一貫校のメリットは?とか男子校の良さは?から始まり、米国の大学に直接進学することの是非、リーダーシップ教育とは何か、親としての接し方まで話題は多岐にわたる。

特に開成の榊原校長の回答は、東大・ハーバードで研究し、教鞭をとった経験に裏打ちされており、説得力に満ちる。

普通の子を、まともな大人にするためには、親が勉強しなければならない。「どのような大人をつくるべきか」「そのために大切なことは何か」。正しいビジョンを持った両氏から普通の子の親として学ぶことは多い。




2014年5月 1日 (木)

内海健『双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代』(勉誠出版)

双極性障害という病気がある。いわゆる躁うつ病。その中でも、Ⅱ型という「躁が軽い」類型にこの十年ほど関心が高まっている。

躁が軽いので、いわゆる「ハイ」だとか「キレている」と本人は感じ、病識が薄い。仕事のパフォーマンスもこの状態の方が上がったりして、患者はその状態を治療で失いたくないとさえ思うそうだ。
しかも精神科にかかるときは「うつ」の状況でかかるので、躁転したときは「うつが軽快した」と医師に話し、精神科医も判定が非常に困難だ。ゆえに、うつ病としての治療が継続され、問題の解決が遠のきがちになる。

内海先生の筆致は丁寧で、素人にもわかりやすい。このような障害の存在をきちんと知っておくことは、とても大切だ。