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2013年12月16日 (月)

重松清『赤ヘル1975』(講談社)

1975は、もちろん広島初優勝の年。湧き立つ広島市民の狂乱ぶりは抱腹絶倒である。反面その年は、原爆投下30年の節目の年でもあった。

東京から巨人の帽子をかぶって転入した「マナブ」の目を通して、広島の人々の心に深く影を落とす「原爆」の姿を描いていく。「原爆」や「鎮魂」、そして「反戦」「平和」が生活に深く入り込む社会を「ヨソモノ」のマナブは理解できずに悩み、もがく。

「わからんでもええんよ。」今わからなくても、今感じた気持ちをそのまま心に刻んでいればいいと諭す友達の母。「原爆」より「原発」になってしまった我々も、「原爆」に再度触れて、何かを感じ取るよい機会となるかもしれない。

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